伝説的なタヒチ島

熱帯の楽園としてタヒチ島の神秘的な魅力が知られたのは、最初に訪れたヨーロッパ人が帰国し、その穏やかな気候や、親切な島民、豊富な食材、風に揺れるヤシの木陰での自由な愛の表現を報告してからでした。ブーガンビルや、クック船長、バウンティ号の反乱者、そして宣教師たちが島のイメージを定着させました。

詩人、画家、作家、捕鯨船員、交易商人、海辺の放浪者、漂流者、船乗り、航海者、探検家、映画制作者、映画『南太平洋』の登場人物が、タヒチの評判を世界中に広めました。崇高な楽園タヒチの伝説は200年以上も人々の心の中で生き続けています。

現在のポリネシア人の先祖であるマオヒは、タヒチ周辺のすべての島に定住しました。マルケサス諸島のウアフカ島には西暦300年頃の遺跡が点在し、フアヒネ島には西暦850頃から人が定住した形跡が見られます。ポリネシア人はアジアを起源とし、人口圧迫に伴って2つの潮流となって東方向に広がったと歴史家は信じています。

ポリネシア人の起源についての議論が続く中、彼ら自身は、父なる天と母なる大地の直系子孫だと信じています。タヒチ人の口述歴史によれば、最高神タアロアが神々や準神の供人をすべて創造し、常に人間と語り合っていたそうです。

1767年にサミュエル・ウォリス艦長がタヒチ島のマタバイ湾に寄港し、イングランド王に因んでキング・ジョージ島と命名する以前、タヒチ島はマオヒの王フイ・アリイが支配していました。ヨーロッパ全域で遊動民族が移動と戦いを繰り返していたころ、タヒチのポリネシア社会も大きく揺らぎました。神々や英雄の生き生きした神話や伝説に加えて、高度な社会宗教的階級制度や、定型化した慣習、宮廷での複雑な礼儀作法、洗練された踊りと劇、高度な職人技がありました。

飛行機旅行の時代が到来し、多くの国の旅行客にとってロマンチックな南太平洋への逃避行が現実味を帯びました。タヒチは今でも、メルビル、ダーウィン、ゼーン・グレイ、サマセット・モーム、ノードホフ、ホールを魅了した魅力をそのまま保っています。タヒチはロマンスと伝説、そして神秘に満ちた場所です。観光客は偉大な航海者の時代と同じ景色を堪能できます。砂浜とターコイズブルーの海は、ロバート・ルイス・スチーブンソンが船上から眺めた風景と同じ美しさです。旅人を歓迎する表情と鮮やかな色彩はポール・ゴーギャンが描いたとおりです。こうした極上の美しさに触れると、陰気な旅行者でも、タヒチがロマンチックな気分になれる楽園だと納得します。
美しい景観、南国の花々、笑顔と笑い声は今でもタヒチに溢れています。これらを体現するポリネシア人自身がタヒチの伝説的な遺産なのです。