世界中に広まったタトゥーやパレオの起源は?

June 1, 2021 場所 体験

「ポリネシア」と聞くと、楽園のような景色の広がるリゾート地を連想する旅行者も多いのではないでしょうか。タヒチの島々は、「ポリネシアン・トライアングル」と呼ばれる広大なエリアの象徴です。そして同エリアは、北端をハワイ諸島、東端をイースター島、西端をニュージーランドで囲んだ三角地帯全体を指しています。このポリネシアン・トライアングルの中心に位置するのがタヒチの島々です。中でも古来より「ハバイイ」と呼ばれたライアテア島は、ポリネシア文化発祥の地としてその名を知られています。タトゥーやパレオは、まさにこの美しい島々で生まれたアイコニックな伝統の一部なのです。

タヒチの島々では、何世紀にも渡って、タトゥーの技術が伝承されてきました。

タトゥー の語源は、タヒチ語の「タタウ (tātau)」です。

新石器時代以降、古代の人々の間で、皮膚に入れ墨をほどこした痕跡例が多数発見されています。これはポリネシアン・トライアングル全域で、タトゥーが他の地域にない規模で浸透していたことを意味します。

古代ポリネシア社会では、タトゥーは単なる装飾品ではなく、その人の家系または社会的地位をも示す貴重な伝達手段でした。それは富と強さの象徴であり、痛みに耐え抜く能力の証でもありました。一般的に刺青は思春期に開始し、完成に数年を要することも珍しくなかったと言われています。

19世紀にヨーロッパ人が到来した際、タトゥーを施すことは罪深い行為だとされました。そのため、タトゥーは危険視され、その技巧は当時絶滅の危機に瀕したのです。幸いなことに入れ墨技術に関しては記録が詳細に残されており、タトゥーは20世紀終わりに復活を遂げるに至りました。そして今日、傑出した芸術表現として、ポリネシアン・タトゥーは再評価され、世界中の旅行者の憧れの的となっているのです。

 

ポリネシアン・タトゥーに込められた意味

© Tahiti Tourisme

タトゥーには、ある家系に特有の模様や、様々な社会的役割に応じたシンボルも存在しました。例えば戦士のタトゥーは漁師のシンボルと異なる模様が施されたのです。今日でも、ポリネシアン・タトゥーは象徴性に満ちており、それぞれのシンボルには個人的な意味合いが込められています。海、大地、豊作、平和、旅などを表すモチーフがあり、例えば「カメは健康、豊作、長寿、平和」を、「イルカは知恵」を、「ティキは防御」を表現しています。

ポリネシアン・タトゥーは、その美しさ、豊かな象徴性のおかげで、時代を超えて鮮やかに受け継がれてきました。その技巧は、先祖伝来の意匠を守りつつ、近代化され、洗練されてきました。そして今もなお、ポリネシアン・タトゥーは、何よりもその深い意味を持つ伝統の上に成り立っています。刺青を通して、ポリネシア文化を肌で感じることができるといえます。


ポリネシアン・タトゥーに関してより詳しい情報は以下を参照下さい:

ポール・ゴーギャンと出会った女性たちは、その笑顔とパレオに身を包んだ姿をひとつの絵画として描きました。

© Tahiti Tourisme

パレオの起源は、「タパ」と呼ばれる、木の皮を叩き、伸ばして作られた樹皮布の装飾品がはじまりとなっています。ヨーロッパの人たちが織物をポリネシアへ伝えたのち、タヒチ語で「パラウ」と呼ばれ、これが現在の「パレオ」という名称で呼ばれるようになりました。

はじめは男性、女性ともに使われており、男性の腰巻き(フランス語でパーニュ)として、

女性はより手の込んだ結び目を使って体にまとっていました。

このカラフルな生地が西洋で知られるようになったのは、有名なフランス人画家ポール・ゴーギャンが描いたヴァヒネ(ポリネシアの女性)の肖像画がきっかけでした。1930年代に初めて西洋に輸入されたパーレウは、ビーチウェアとして人気を博しました。

 

© Tahiti Tourisme

今や世界中でビーチウェアの必需品となっているだけでなく、タヒチアン・ダンスを行う際には絶対に欠かせない衣装のひとつです。これはタヒチアン・ダンスにおいて、腰の回転や体の動きを強調して見せる効果もあります。美しい「ファアラプ」の動きをさらに際立たせ、タヒチアン・ダンスをより魅力的に表現します。

パレオは、タヒチの島々の領域を超え、今ではフィジー諸島からラパ・ヌイ(イースター島)まで、南太平洋全域で見ることができます。

タヒチの島々を訪ねた際は是非、様々な柄や色のパレオを見に来て下さい。タヒチでは多くのパレオを未だ手染めで色付けしています。ビーチが好きなすべての人達に贈りたいアイテムです。